自らを追い込む 京セラフィロソフィの感想
今日は京セラフィロソフィのなかにでてくる「自らを追い込む」について紹介します。
京セラフィロソフィは読んでいて、日々の行いを反省するような教えが数多く登場するのですが、「自らを追い込む」も自分がどのくらいの基準で仕事に取り組んでいるかを反省させてくれる内容になっています。
自らを追い込むとはどのようなことなのでしょうか?
それは、厳しい現実から逃避するのではなく、問題に対して真正面からぶつかっていくということです。
そして、「狂」の世界と言える状態まで追い込んで問題と向きあうということです。
問題や課題に対して向きあい続ける。自ら限界まで追い込んで必死にやっていくと神の啓示があると書かれています。
神の啓示とは、なにかお告げがあるわけではなくて、それはパッとアイデアがひらめくことや、火事場の馬鹿力のようなものが発揮されることです。
自らを追い込み、精神も肉体も没頭することで
「あとは天命を待とう」という心境になり、安心立命の境地に至ると書かれています。
私は「自らを追い込む」を読んでいて、なぜそこまでするのか?
そこまで、しようと思えるのはなぜか?と思いました。
でも、京セラフィロソフィの内容を振り返ってみると
仕事を好きになることの重要性が説かれています。好きなことならば、苦も厭わず打ち込むことができるでしょうし京セラフィロソフィの冒頭では、心を高めることの大切さが説かれています。
好きな仕事を通じて、心を高めるという究極の目的のために自らを追い込む。
神様がそこまで頑張っているのなら、助けてやるよ。。。
と思えるくらいまで打ち込むことをここでは、書かれているのだなと感じました。
学びとしては、なんのために自らを追い込むのかということを考えることができたことです。
私の場合ですとお金を稼ぐために頑張ろう!という気持ちが強いのですが笑
お金を最重要項目にしてしまうと、自らを追い込むことは苦行になってしまうと思うんです。
苦行にいつまでも耐え続けれる人はきっと少ないと思います。
だからこそ、なんのために仕事をやっているのか?ということを見つめ直しておいた上で、自らを追い込んだほうがいいなと思った次第です。
稲盛和夫さんはJALの再建を引き受け、再生させたわけですが、その根底には
・ 二次破綻による日本経済全体への悪影響を食い止めること
・ 残された社員の雇用を守ること
・ 正しい競争環境を維持して国民の利便性を確保すること
という3つの目的があったそうです。
しかも、無報酬で引き受けたそうです。
再建に失敗すれば、稲盛和夫という名声に泥を塗ることになる大仕事を無報酬で引き受ける。
そこには大きな目的、使命があったからだと思います。
お金は大切ですが、使命、目的がしっかりしていないといけないなと考えさせられました。