小善は大悪に似たり
久しぶりに京セラフィロソフィを読んでいたら、
「小善は大悪に似たり」という言葉が出てきました。
これは大善の功徳と小善の罪というところに出てくる言葉です。
こんな例が紹介されていました。
倒産寸前の会社からお金を貸してほしいと頼まれた場合、
利他の心で考えれば、助けてあげるべきだけれども、そうすれば自分や自分の会社には困る。
ビジネスで考えれば、断るべきだ。
こういった場合、利他の心とビジネスの考えは相反してしまうのでどうしたらいいのか?
という話です。
京セラフィロソフィの著者である稲盛和夫さんの考えは
「小善と大善」を考えて判断する
とのことです。
小善と大善とはどのようなものなのでしょうか?
簡単にいってしまうと
小善とは目先のことだけを考えて相手に施すこと
大善とは長期的視野に立って相手にプラスになる施しをすること
と考えればいいかと思いますが、
お金の貸し借りの例で考えれば
小善で考えるならば、お金を貸してあげるだけでは、相手は緊急事態を脱することができるでしょうが、相手にとっては、なぜ倒産寸前になってしまったのかを熟慮、反省する機会を逃すとも考えることができます。
一方、大善で考えるならば一度倒産、破産してしまってでも、相手に反省して再起を図ってほしい。長い目でみれば相手にとっては、そちらのほうが大きな財産となると考えることもできるでしょう。
利他の心とビジネス(京セラフィロソフィの中では事業経営と表現されています)が相反すると思うときは、小善と大善から考えましょうということですね。
小善は大悪に似たり、大善は非常に似たり
と書かれているのですが、私は自分にとって苦しい判断となりえる大善ではなく、相手に嫌われたくないがために小善を選んでしまうでしょうね。
読んでいて、私の人に嫌われたくないマインドが強い私は苦しくなってしまうほどでした笑
ただ、これから普段から信頼関係を築き、いざというときは非常に思えるような大善からくる対応ができるような人間関係を作っていきたいなと思いました。
育児とはまさに、小善と大善とが揺れ動き続けるものなんでしょうね。
私ももし自分にとっては苦しくとも大善選択できる人間になっていきたいです!